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日本文化交流大使として世界中のゲストに日本文化を伝える

CRの体験を知る

Interview 11

ひとりでは生きていけない
世界中どこでも生きていける

守屋 謙介

2008年秋期 物販部門
ストア ゲスト・サービス

「ひとつの真珠」を「世界でひとつだけの真珠」へと演出します

私は、物販部門(ショップ)ゲスト・サービスの一員として、ピック・ア・パール売場でパフォーマンス販売を担当しています。水槽いっぱいに敷き詰められた真珠貝(アコヤ貝)の中から、お気に入りのひとつをゲストに選んで頂き、その場で楽しいパフォーマンスと共に貝を開き、中から取り出した真珠をお持ち帰り頂くという接客販売です。もちろん、御希望にそって、その場で指輪やネックレスなどのアクセサリーとして加工するサービスも提供しております。

 

守屋 謙介 ピック・ア・パール売場では、「真珠パフォーマンス業務」「アクセサリー販売業務」「アクセサリー加工業務」「レジスター業務」「観衆整理・接客業務」の5つの業務をティーム全員でローテーション制で管理し、ティームワーク良く運営します。どれも重要な業務ですが、やはり花形は、貝を開けて真珠を取り出す「真珠パフォーマンス」業務です。基本的には、10人のゲストを担当するとローテーションとなるのですが、この業務は、誰もが特に力が入るようです。
 
選んで頂いた貝を、ただ開けるだけでは「日本館・接客販売」としては失格。エンターティナーとして日本の装飾品文化の象徴である真珠を誇りを込めて、御紹介するパフォーマンスを提供するのが私たちのミッションです。日本文化への触れ合いとエンターテインメントとしての要素をふんだんに盛り込み、ひとつの真珠を「ゲストにとって世界一の輝きを放つ、世界でひとつだけの特別な真珠」へと演出するのです。

確率、5パーセント。シルバーブルー・パールの奇跡

パフォーマンスの流れは、ざっとこんな感じです。まず、真珠貝の水槽の前で充分なコミュニケーションをとり、ゲストの気分を盛り上げます。最高のテンションの中で、祈るような眼差しで真珠貝を選ばれるゲスト。貝を開く前に、太鼓を叩き、その「世紀の一瞬」が最高潮に達する時、太鼓の音に集う周囲のゲストの注目を浴びながら、貝は開かれます。そして、開いた貝から取り出した真珠に「最高級の賛辞」を贈るのです。ゲストは、耳まで真っ赤にして感謝の意を述べ、真珠の大きさを計測しながら、またまた太鼓で盛り上げる・・・。 時間にして2分前後のこのひと時が、ゲストにとって生涯最高の「日本文化との触れ合い」の一瞬となるかもしれないのですから、毎回毎回、真剣勝負の連続です。

確率、5パーセント。シルバーブルー・パールの奇跡 以前、日本館で真珠を購入されたゲストが、再び日本館を訪問され、私に手を差し伸べて「以前、貴方は私の大切な真珠を取り出してくれました。本当にありがとう」と言って下さった事があります。私は、もう感無量で、言葉が出ませんでした。
 
真珠を取り出すパフォーマンスは、基本スクリプトをベースに自分流にアレンジします。名前と出身地ネタを交えて自己紹介をしたり、わざと違う貝を取って笑いを取ったり・・・。経験と共に、自分流のバリエーションが出来上がりつつあります。
 
ある日、初老の御夫婦連れゲストが訪れ「シルバーブルー・パールと呼ばれるレアな真珠はありませんか> 」と尋ねてこられました。確率は5%前後と高くはありません。その旨をお伝えしつつ「私の経験から美しい真珠は、醜い貝に入っているようです」とお伝えしたところ本当に一番小さく萎れたような貝を選ばれてしまいました。責任を感じつつ、充分なコミュニケーションで間を取りながら、祈るような気持ちで貝を開けところ、本当にシルバーブルー・パールが出てきたのです。もちろん冷静を装い、可能な限りのアフター・パフォーマンスでゲストを御祝福させて頂きました。ゲストのお喜びは言うまでもありません。でも、正直、嬉しくて飛び跳ねたかったのは、私自身でした。あの時のシルバーブルー・パールの神秘的な輝きは、今でも鮮明に目に焼きついています。

一期一会のゲストにお届けする2分間の「マジカルモーメント」

ゲストが貝を選ばれてから、真珠を取出すまでの所用時間は、たったの2分間。しかし、この2分間は、ゲストにとって生涯一度の日本文化体験となるのかも知れません。日本代表の一員である私にとって、この2分間は日本文化交流大使としての使命が凝縮された、誇り高く、緊張に満ちた2分間となるのです。その日、初めて出会ったゲストとの一回限りの2分間で、最高のマジカル・モーメントを演出する・・・。まさに「一期一会の心」が集約された2分間。それが、この職務の醍醐味です。

 

一期一会のゲストにお届けする2分間の「マジカルモーメント」 米国には、他人同士でも気軽に声を掛け合う文化があります。私は、CRプログラムでの業務と生活を通じ、この文化の背景には「人はひとりでは生きていけない」という、今更疑う余地の無い、当たり前の事実に辿り着きました。だから、今日初めて出会い、恐らくもう二度と会わないかもしれない人に対してさえも、声をかけ、その出会いの瞬間を大切にする・・・。日本文化の真髄と信じてきた「一期一会の心」を、ここ米国文化の中にも見出したのです。
 
世界中、どの文化においても、人は一人では生きていけません。だからこそ、人は出会いを大切にし、意思疎通を重んじる・・・。私は、貝を開く2分間から、これからの自分の人生哲学の骨子となる多くの価値観を学び取った気がしています。

英語と野球…。そして、仲間への熱い想い

英語と野球…。そして、仲間への熱い想い

高校受験で志望校に全部落ちて、二次募集で入った高校。出会った仲間は、勉強好きは一人もいませんでしたが、その分、ハートの熱さはピカ一でした。そんな環境の中、毎年、英語の暗唱大会というイベントがあり、誰も勉強しないせいか、堂々3位に入賞。その年、初めての海外旅行であるニュージーランドへ渡る機会を得ることが出来たのです。ここでの経験は、まさにカルチャー・ショックと呼ぶに相応しい経験でした。
 
大学受験でも志望校に全部落ちてしまい、途方に暮れていた時、ニュージーランドの経験を思い出し、思い切って米国・テネシー州の短大への留学を決意しました。短大卒業後は、州立大学に3年生として編入したのですが、ここで待っていたのは「本当に孤独」な毎日でした。
 
中学から始めた野球には、特別な想い入れがあり短大でも野球部に所属していました。州立大学でも野球部に入りたかったのですが、野球部そのものが存在しなかったのです。そんなある日、いつものように原っぱで、ひとりで空に向かってボールを投げている私に、声をかけてくれた人がいます。後に、共に大学と交渉し野球部を創設する事となったキャプテンでした。
 
キャプテンとは、不思議にウマがあい、ともに過ごす時間が多くなっていきました。正直、流暢な英会話とはいきませんでしたが、そこは「日米・野球小僧」同士。難しい理屈は不要です。お互いの野球への想いを英語で語り会う二人に、一人、また一人と仲間が加わっていきました。そしてついに、大学の事務局を説得し、野球部創設が実現したのです。あの時の感激は忘れられません。
 
野球部での生活は、孤独であった大学時代を大きく変えてくれました。キャプテンを始めとする、野球部創設メンバーは生涯忘れ得ぬ友人です。やっと手にした、背番号53番のユニフォームは、私の宝物。卒業の日、キャプテンは、私の背番号53番を「初代・永久欠番」に指定してくれました。私は、涙が止まりませんでした。
 
受験の挫折と孤独・・・。そんな私の人生を変えてくれたのが「英語と野球と仲間達」でした。私は、ひとりでは生きていけません。だからこそ、世界中のどこへ行っても、他人とのコミュニケーションを大切にし、野球小僧の大和魂を忘れないように、生きていきたいと考えています。ひとりでは決して生きてはいけないけれど、他人とのコミュニケーションを大切にすれば、世界中どこでも生きていけると思うのです。

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