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CRの体験を知る

Interview 12

私自身を演じ切る時
私自身の「楽しむ心」は最高潮に達します

大和田 絵里

2008年秋期 Teppan Edo
鉄板サービス

私は、鉄板「エンターティナー」

「Teppan Edo」では、江戸時代に生まれた「日本の伝統的味覚」を、鉄板料理を通じ「賑わいの食文化」として世界中のゲストにお届けしております。鉄板を囲む8名掛けのテーブルで、厳選された高級素材と、躍動感溢れる鉄板料理技術で真心のおもてなしを御提供する、言うなればそれは、エンターテインメント・ダイニングです。

 

大和田 絵里 一般的には「鉄板シェフ」と聞くと、男性シェフを想い浮かべる方が多いかと思います。しかし、ここ日本館では、多くのCR女性社員が鉄板シェフとして活躍しているのです。
 
私は、CRプログラムへの参加を決意した後、「現役・日本代表」の実際の活躍ぶりを、自分の目で確認してみたいと思い、はるばるエプコット®日本館を訪れました。その時、私の目を釘付けにしたのが「CR女性鉄板シェフ」の華やかな晴れ姿です。私はその時、「何が何でもプログラムに合格して、絶対に鉄板シェフになる」と決意し、1年後、それを実現させました。
 
野菜、海鮮品、鶏肉、牛肉・・・。新鮮な食材を目の前で、次々と鮮やかに調理する様子に、ゲストの表情はみるみると変わっていきます。しかも、鉄板調理は絶妙な接客会話という調味料を加え、益々コクを醸し出します。通常、8名前後で相席となるゲスト全員の「視覚、臭覚、聴覚、味覚、触覚」という五感全てを痺れさせ、最高の感動でゲストを圧倒するのが鉄板シェフなのです。
 
鉄板調理の基本動作・基礎技術はもちろん決まっており、シェフ全員が統一レベルの基礎教育を受けます。私は、この基本を大切にしつつ、ゲストごと、テーブルごとにTPOを的確に判断し、自分流のアドリブを要所に盛り込む事で、ゲストのハートを掴むよう努力をしています。これが、私が鉄板「エンターティナー」である事の秘密であり、誇りでもあるのです。

私の誓い。「全てのゲストを笑顔に!」

Teppan Edoで、私が接客ステージ(鉄板台)に登場すると“It’s a Girl!”(女の子だ!)という声が耳に入ります。多くのゲストにとって「鉄板シェフ=男性」という、経験値からの方程式が固まっているようで、現実に、大多数の方にとって、私は初めて見る女性鉄板シェフである事が多いようです。

私の誓い。「全てのゲストを笑顔に!」 Girlという表現は、幼く見える私への頼りなさや不安を、間接的に表現しているのだと思います。しかし、あなどってはいけません。この“ Girl ”は、一度鉄板調理が始まると、圧倒的なパワーでゲスト全員に笑顔あふれる「スーパー・マジカル・モーメント」をお届けするからです。
 
ある日、接客ステージに登場すると、とても怖いお顔で怒っていらっしゃる御様子の男性ゲストが座っておられました。恐らく、御来店前にお連れの方と何か不愉快な事でもあったのだと思います。あまりの不機嫌さに、正直、私も一瞬「どうしよう・・・」と不安になりましたが、すぐに気持ちを入替えました。不肖、鉄板「エンターティナー」として、ゲストをお預かりしたからには「全てのゲストを笑顔にする」という、自らへの誓いを必ず実現してみせる・・・。気合を入れ直して、勝負パフォーマンスに臨みました。
 
まず、輪切玉ねぎのボルケーノ(火山) を作り、おどけてみせます。煙を噴き出す玉ねぎやミッキーマウスにみたてた玉ねぎに、ゲスト7名は大爆笑。しかし、肝心のゲストは、ニコリとも致しません。「これは手強い・・・」と感じつつ、軽いジョークでテーブルの雰囲気を整えます。調理は進み、いよいよ私の得意な海老のパフォーマンスに差し掛かりました。私は「ここが勝負」と直感し、そのゲストに直接お声をお掛けしたのです。

ベストショーは、自分が楽しめた時

私の得意とする「海老のパフォーマンス」は、まず、ミート・フォークという調理道具で海老を刺します。次に、包丁を使ってそのしっぽを小刻みに揺らしながら、「こんにちは~!」と、まるで海老が生きているかのように演じるのです。ゲストからは歓声があがり、笑顔が溢れ出します。ここで、海老のしっぽをカットとし、最後に切り取ったしっぽを空中に飛ばし、コック帽子の上でキャッチ。テーブルは拍手喝采。すかさず、「最後のしっぽは、あなたに差し上げます」と間を取り、乗りの良さそうなゲストを指名して、「はい、ゲスト、目を瞑って口を開けてください!」とアプローチするのです。

 

ベストショーは、自分が楽しめた時 ここを勝負どころと読んだ私は、このアプローチを例のゲストに実行。ゲストは、不機嫌そうにも、ようやく口を開け、目を瞑ってくださいました。しばし沈黙の後、おもむろに「ゲスト、何とも大きなお口でございますね」と一言。ゲストは、堪え兼ねたかのように大きな声で笑い出し、周囲のゲストも大爆笑です。
 
私自身を演じ切り、自分への誓いを果たした私の「楽しむ心」は、その時、最高潮に達しました。
 
そのゲストは、残りのお食事時間を笑顔で過ごされ、お連れの方との会話も弾んでいた御様子。お連れの方のほっとした様な表情も印象的でした。調理終了後、御挨拶をして退席する私に、ゲストから「ありがとう、君は最高のエンターティナーだね」とお褒めのお言葉を頂き、私にとっても、日本館における最も印象に残る接客シーンのひとつであったかと思います。
 
ゲストを笑顔にするという事は、まず、自分が楽しくなければ絶対に実現出来ません。鉄板「エンターティナー」として、接客調理が上手くいった時は、自分が楽しめた時です。失敗したかな、というような時は、大抵、自分が楽しめなかった時・・・。「私自身の楽しむ心」は、ゲストの幸せの度合いを計る、大切なバロメーターであると考えています。

次の目標は「声と英語のエンターティナー」

次の目標は「声と英語のエンターティナー」

私は、小学生の頃、英語の歌を覚えるのが大好きでしたので、自ずと英語が耳と頭に入りました。中学に入ってからの英語の授業は、楽しくてしょうがなかったのを覚えています。毎年、1学期の内に1年分の英語教科書をすべて暗記してしまうぐらいの「英語漬け」の日々でした。
 
自然と、高校は国際交流の盛んな学校に進学。この学校では「2週間の留学制度」がありましたが、私は担当の先生のところに毎日足を運び、留学先の姉妹校に「特例として1年間の留学」を認めて貰う事に成功しました。ところが、現地に着いてみると、得意の筈の英語が全く通じない。大変なショックと失望感を感じました。毎日出る宿題も、設問から訳していくので、徹夜の連続です。私にとっての初めての挫折でしたが、その頃から「楽しむ心」の原型は出来ていたのかもしれません。120%の状態で走り続ける自分という主観を、客観的にみつめ「エリはなかなか頑張っているじゃないか」と評価する別の自分が存在したのです。自分を演じきる私に、私の「楽しむ心」のバロメーターは上昇。ポジティブ・スパイラル現象が発生する中、いつの間にか「英語問題」はウソのように解決していました。
 
日本に戻り、やがて大学に進学。そんなある日、図書館でDisney社の哲学が記されている本と偶然出合いました。この時、日本の生活で、しばらく燻っていた私の気持ちに、再び火がついたのです。
 
東京ディズニーシーでアルバイトをしながら「マジカル・モーメント」の考え方と手法を学び、「自分を楽しむ心」の育成を続けました。そして一昨年、国際舞台での活躍を求めて、CRプログラムへの参加を決意。私の人生の中で、最もハードルの高い大きな挑戦でしたが、ようやくここまでたどり着きました。私のCRプログラムも終盤に差し掛かっていますが、次の目標は、やはり国際舞台で「声と英語で人々を魅了するエンターティナー」、例えばラジオのパーソナリティーなどの可能性を探ってみたいと考えています。目指すは、やはり自分のステージでしょうか・・・(笑)。
 
CRプログラムに参加して、完成形に近づいた「楽しむ心」の哲学・・・。今後も自分のバックボーンとして育んでいきたいと考えています。

CRの体験を知る

私と三越カルチュラル・リプレゼンタティブ・プログラム
私の13カ月プライベートアルバム
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    ご存じマイアミ・ビーチ。米国の光と影が交錯する独特な雰囲気の街でした。

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