越後屋開業

越後屋 1673年(延宝元年)8月、江戸幕府の呉服御用達を務めた豪商・三井高利は、江戸元町1丁目(現日本銀行所在地近辺)に、三越の前哨である「越後屋呉服店」を開業致しました。
 
間口9尺(2.7㍍)余りのこの小さな借り店舗では「店前現金掛け値なし」「小裂何程にても売ります」をスローガンに、営業を開始。当時の呉服屋は、大名・武士あるいは裕福な商家といった特権階級のみを対象とした「反物単位の掛売り商売」が主流となっていた為、庶民にとっては呉服そのものが、なかなか手の届かぬ存在となっておりました。

越後屋は、呉服を「店頭一律価格」で「現金」にて「切売り」をするという、当時としては極めて斬新な販売方法を導入。一般庶民の圧倒的支持を受けて、業績を伸ばして参りました。

株式会社・三越呉服店創立

明治37年日本橋本店外観 1893年(明治26年)9月、越後屋呉服店は三井一族の合名会社へと組織を変更し、資本金50万円にて「合名会社・三井呉服店」へと改名致しました。
 
1904年(明治37年)12月6日、三井呉服店は「株式会社・三越呉服店」へと組織形態を改め、三越呉服店の初代専務取締役に、日比翁助が就任致しました。日比は経営方針として「販売の商品は今後一層其の種類を増加し(中略)米国に行わるるデパートメント・ストアの一部を実現致すべく」との内容による、所謂「デパートメント・ストア宣言」を標榜し、ここに日本国内初の西洋式百貨店が誕生したのです。

日本橋本店・ルネッサンス式新館落成

大正3年三越日本橋本店外観 1914年(大正3年)9月15日、株式会社・三越呉服店は、日本橋に最新建築技術の粋を結集した新館を建築し、10月1日、「日本橋本店新館」として開店致しました。
 
この新館は「スエズ運河以来最大の建築」と称され、日本の建築市場に残る傑作との評価を頂戴致しました。取り扱い商品は、呉服を中心に百貨全般に渡って取り揃えられており、日本初のエスカレーターやエレベーターも設置。近代百貨店としての形態をここに完成させたのでございます。

天女像・まごころ落成

天女像 1960年(昭和35年)4月19日、三越本店1界中央ホールにおいて、500余名の招待客が見守る中、三越の企業理念である「真心のおもてなし」を象徴する「天女像」の除幕式が挙行されました。
 
コーラスをバックに純白の幕が美しい線を描いて揺れ落ち「忽然と舞い降りた天女」を演出致しました。製作者である佐藤玄々氏は、9年の歳月をかけて完成させた高さ11㍍に及ぶ天女像の前に立ち、自らの万感の思いを込め「私は佐藤玄々であります」と一言だけの挨拶を挙行。招待客・関係者に深い感銘を与えました。

米国三越・株式会社設立

3-6 Mitsukoshi USA Inc (Main) 1977年(昭和52年)5月24日、株式会社・三越は、その世界戦略の一環として、米国への進出を決定。100%出資子会社の形態にて「米国三越・株式会社」を設立致しました。米国本社ニューヨークを基点に物販店舗、飲食店舗、輸出業務、業界情報収集業務、市場調査業務など、幅広い分野にて米国市場での活動を広げて参りました。
 
1981年(昭和56年)9月16日、米国三越・株式会社は、ウォルト・ディズニー・ワールド社との間に業務契約を締結。 1982年10月1日、エプコット®開業初日より、エプコット®内日本館において物販店舗、飲食店舗の委託運営を請け負い、この店舗運営を通じ、世界中のお客様に日本の文化、伝統、歴史を御紹介する使命を授かりました。

日本館の共通演出テーマは「伝統と革新の共存する調和の国・日本」であります。 古代伝統の威厳と現代文明の眩いばかりの輝きが出会い、共存し、調和する、類まれな統一文化が醸し出す心ときめく調和の国・日本を、ここフロリダで再現。日本館に御来訪される世界中のお客様を「真心のおもてなし」にてお迎えし、調和の国・日本への擬似旅行体験をお楽しみ頂いております。

株式会社三越・株式会社伊勢丹 経営統合

logo 2008年(平成20年)4月1日、株式会社三越は、株式会社伊勢丹との株式移転により、株式会社三越伊勢丹ホールディングス(英語名・Isetan-Mitsukoshi Holdings)を設立しました。
 
両社は、お互いの歴史や企業文化を理解し尊重し、それぞれの屋号をブランドとして生かしつつ、各々が有する経営資源を最大限に活かす事により「世界髄一の小売サービス業グループ」を目指し、お客様を始め、株主、従業員、お取引先、地域社会を含む全てのステークホルダーの皆様に対して、提供価値を高め、社会に貢献して参りたいと考えております。