幼年期の「夢」は、やがて「目標」に姿を変えた

私は、幼い頃から米国への憧れが強く、ディズニーの世界はその象徴的な存在でした。高校1年生の時、貯めていたお年玉をはたいてサンディエゴにホーム・ステイをさせてもらい、初めて訪れたカリフォルニアのディズニーランド。その時の感動は今でも忘れる事が出来ません。

幼年期の「夢」は、やがて目標に姿を変えた 大学進学後、私はリスの研究に没頭し始めましたが、米国への憧れは衰える事なく、しっかりとフロリダのディズニー・ワールドへも旅行をしました。フロリダの果てしない地平線に広がるウォルト・ディズニー・ワールド®・リゾート。その印象は、あまりに強烈でした。異なる文化で生活をする、価値観の異なる世界中の人々を、いとも簡単に、みんなまとめて感動させてしまう「ディズニー・マジック」。私はそれに、ただただ圧倒されてしまいました。
 
大学卒業後も頭の中で、大学時代に経験した「フロリダの美しいパステルカラーの夕日」と「ディズニー・マジックの感動」が少しずつ、確実に、占有率を高めて来たのです。
 
ほどなく、私は会社を去り、東京ディズニーランドでの接客業務へと転進。ディズニーの哲学を学び、ゲストの笑顔と接する日々は今までにないくらい充実していました。まさに、子供の頃に憧れていた世界が、現実の生活の中で、再び、自分の目の前に登場してきたのですから・・・。それは、見果てぬ「夢」が、もう少し手を伸ばせば届くかもしれない「目標」へと、姿を変えた瞬間だったのです。

カナダへ、そしてフロリダへ

東京ディズニーランドで働いていたある日、社員休憩室で、同僚の会話を耳にしました。「ねぇフロリダのディズニー・ワールドで働くプログラムがあるって知ってる?」。私の体中の血液が逆流し始めました。すぐに、この情報を確認し「三越CRプログラム」の存在を知ったのです。「これだ!」と乱舞する私に、募集要項の、とある一行が冷水をかけました。「選考基準→TOEIC650点以上を基準とする」・・・。

カナダへ、そしてフロリダへ 当時、私のTOEICは650点にはとても及ばない、恥ずかしくてお話出来ないような成績でした。
 
ディズニーランドで働く一方、必死で英語の勉強を始め、更にカナダのバンクーバーでのワーキング・ホリデイに参加。レストランでのアルバイトで実践を学び、学校ではレストラン・サービスを選考。とにかく「吸収出きるものは、120%吸収する」という意気込みでガムシャラに努力を続けました。その結果、TOEICの成績も急上昇し「選考基準」に近付いて来たのです。
 
2006年4月6日、私は満を持して、07年度CRプログラムへの選考会に臨みました。07年度のCRプログラムは、レストラン改装終了後の新たな接客基準における、事実上の「初代・日本代表」の座を争う競争率の高い選考会でした。午前中の説明会の時点から、私は緊張で体が小刻みに震えていたのを今でも覚えています。午後の英語面接、私の緊張は頂点に達しており、ディズニー社のベッキー面接官との面接では、最初の挨拶以降は、頭の中が真っ白。正直、何を話したのか全く覚えておりません。面接終了後、私は大きく落ち込んでしまいました。
 
翌週、プロネット社(現・三越伊勢丹HS社)の担当者の方から、お電話を頂戴致しました。「おめでとうございます。合格です・・・」。私は、全身の力が抜けてしまい、その場に座り込んでしまいました。
 
見果てぬ「夢」は「目標」へと姿を変え、ついに私は、その「目標」を「現実」のものとして、手に入れたのです。東京の雑踏の中、虚脱状態で動けない私の目の前に、間違いなくフロリダのパステルカラーの夕日が広がっておりました。

オープンマインドの哲学

「日本文化を世界のゲストにお伝えし、感動を与える」という日本代表のミッション遂行において、要求される英語力は、正直、相当高いレベルです。フロリダに着任し、集中入社教育を受講した私は、要求されるレベルの高さに、大変焦りました。もともと、日本文化そのものが、非常に奥行きの深いものであり、日本語で理解するだけでも容易ではありません。日本代表は、これを英語で表現し、世界中のお客様に理解だけではなく感動を与える必要がある訳ですから、難易度は高まります。カナダ留学で、英語には自信を持ったつもりでしたが、正直レベルが違うと実感し、落ち込む日々が続きました。

オープンマインドの哲学 そんな環境の中、私の心の支えとなってくれたのは、社員寮のルームメイトの存在でした。渡米する時期が各国異なりますので、13ヵ月の間、ルームメイトは頻繁に入れ替わり、13ヵ月の間に複数のルームメイトとの国際共同生活を送ります。私の場合、滞在期間中最後のルームメイトとなったフランス出身のルームメイトが最も印象に残っており「生涯の友人」と呼ぶに相応しい友情を育む事が出来ました。
 
彼女は、もともと日本文化に高い興味を抱いており、日本の芸能界情報にも精通していた程です。しかし、当初は言葉の壁が原因となり、お互い中々打ち解けた関係を築けませんでした。「彼女ともっと話をしたい」「もっと自分を理解してほしい」という、私の純粋な想いをいかに伝えるか・・・。私は、自分の英語力を更に磨くと同時に「自ら心を開く事で、相手の信頼を得る」アプローチを続けました。徐々に、彼女も私に対し心を開き始め、やがて二人の冷えた関係は熱い友情へと成長したのです。プログラム終了間際は、毎晩、日本語で「オヤスミ!」と声を掛け合った後、残り少ない共同生活を惜しむように、暗闇の中、ヒソヒソ話が尽きることはありませんでした。
 
私が、三越CRプログラムで得たものは測り知れません。「真心のおもてなし、接客基準、米国社会知識、社会人知識、国際共同生活・・・」。その中で、最も大きな収穫は「オープン・マインド」の哲学です。「オープン・マインド」とは「自から心を開いて、相互信頼関係を築く力」。自分が心を開くことで、未知の相手の心を解きほぐし、相手が心を開いてくれる信頼を創り出す事です。
 
幼少時代の憧れの世界は、もう夢でも憧れでもありません。「現実」となった「夢」を、日々、自らが完成度を高めていく過程において習得した「オープン・マインド」の哲学・・・。これは私の生涯の財産です。

「夢」は「現実」となり、やがて「ひとつの世界」を理解した

「夢」は「現実」となり、やがて「ひとつの世界」を理解した

現在、私は東京のシャングリ・ラ・ホテルに在籍しており、配属はホライゾン・クラブの担当です。ホライゾン・クラブは当ホテルのエグゼクティブ・フロア御利用ゲストの専用施設で、日によっては海外からのお客様の御利用が半分以上を占めております。ホテル組織においても、直属の上司、総支配人など海外から出向されている方が多く、ホライゾン・クラブ配属社員も、その9割が海外勤務経験者。当然、社内連絡、業務文書も全て英語が「公用語」です。
 
CRプログラム終了後、国際舞台での更なる飛躍を目指してシャングリ・ラ ホテルに入社した私ですが、ホテル入社後は「海外勤務」への肩の力が、少し抜けてきたような気がしています。東京のど真ん中にある職場は、まさに「国際舞台」であり、日々、国際キャリアへの階段を着実に上っている事実を実感する今日この頃です。「国際キャリア=海外勤務」と力が入っていた内は、まだまだ「国際人」として未熟であったのかもしれません。
 
幼少の頃より、追い続けてきた「世界への夢」を、私は今、この東京で実感しています。CRプログラム参加以前は「次の目標」ばかりを追いかけていましたが、今は少しだけですが、周りが見渡せるようになりました。素晴らしい上司と同僚に恵まれたこの「国際舞台」に辿り着く事が出来て、私は本当に幸せを感じています。これからも、この素敵な職場で自らの国際キャリアの更なる飛躍を目指して努力を続けていくつもりです。
 
世界から東京を訪れるお客様をお迎えし、異国の地で快適な御滞在をお楽しみ頂きながら、日本文化の素晴らしさに接して頂く・・・。職場は変わりましたが、新たな「国際舞台」で、私の「日本代表」としてのミッションは続きます。
 
私は、三越CRプログラムを通じ、自らの「夢」を「現実」のものとして具現化し、更に「オープン・マインド」という人生哲学を習得致しました。そして今、東京の「国際舞台」で、日々、国際キャリアを高める機会に巡り会う事が出来たのです。私にとって、三越CRプログラムの13ヵ月間は、生涯の宝物です。